第4回「日本人選手が直面する言葉の壁…サッカー少年よ、練習後に30分だけ語学を勉強しよう。それは自分の可能性を広げる"切符"です」
<新体制発表でクラブの会長と記念撮影。さまざまな局面で語学力が問われます>
欧州リーグは終わりましたが、国内リーグは続いています。ラトビアリーグは秋冬制(3月から11月)なので、残りは8試合です。
FK JELGAVA(エフカー・イェルガワ)はシーズン序盤でつまずいて、上位と大きく離されていましたが、5月の監督交代を機に復調し、そこからは8勝2分1敗、現在は3位まで順位を上げています。僕自身も怪我以外は全試合出れていて、充実したシーズンを送れています。
3位以内に入ると来季の欧州リーグ出場権が与えられるので、このまま失速することなく勝ち点を重ねていけたらと思います。
さて、今日は言葉の話です。
海外でサッカーをしていると、必ず直面するのが語学の壁。これだけの選手が海外に出てきている今、「言葉が話せなくて意思疎通が出来ませんでした」というのは、「切符を持たずに電車に乗ったら降ろされました」と言ってるようなものです。ここで車掌や鉄道会社を批判するような選手をたまに見かけますが、どう考えても悪いのは自分。仮に最初は無賃乗車でやり過ごせても、目的地の改札からは出られずに終わります。
元々パーソナリティーに乏しく見えがちな日本人が、言葉も分からず静かにしていれば、居場所は自然となくなっていきます。(南米の選手は言葉が分からなくてもうるさいですし、アフリカ人に関してはとりあえず踊っています)
僕の印象としては、こちらに「行間を読む」という習慣(というか、これは日本人の超能力みたいなものだなと最近思います)はあまりなく、言いたいことも、喜怒哀楽も、しっかり表に出さないと伝わりません。特に僕たちは「怒」を表現するのが不得意なので、次第に「あいつにはいろいろ押し付けて大丈夫だな」という空気になり、後片付けを、雑務を、ミスを、敗因を、押し付けられるようになっていきます。
これはサッカーの技術とは全く別の次元で進むので、日本で「上手い」と言われた選手でもピッチ外の振る舞いが原因でだんだんと構想外になっていきます。大ゲンカしたわけでも、問題行動を起こしたわけでもなく、「なにも起こさなかったがゆえに」構想から外れていくのです。
僕自身の話に戻すと、ポーランドのクラブに入団した時に、完全にチームから弾かれて、半年で退団したことがあります。当時は「ビザの問題や給料の未払いが原因で…」と言い訳をしていましたが、そもそも僕は意思疎通を図ろうとしていませんでした。怒りもせず発奮もせず、「こんなのは不当だ」と、語学はもちろん、コミュニケーションから逃げていたと思います。いま振り返ると「それはそうとして、俺は何をしたの?」と自問したくなります。
いまはその経験を糧に、語学に加えて、根本の姿勢を見直して、契約交渉や取材なども全て自分で行っています。代理人や通訳は一切つけずに、英語とドイツ語、そして分からなかったら無限に訊き返す姿勢を武器に、海外に於いても自分で物事を決断できるようになってきました。
実際に欧州リーグのあと、夏の移籍期間でいくつかの国から打診がありましたが、そのやり取りの中で必ず訊かれるのは「何語が話せる?」という質問で、「通訳つけます!」と言えるレベルの選手じゃない限り、やはり語学は選手キャリアに直結してきます。
人の思考は使う言語の文法に依存します。日本語を操れる僕たちは、その時点で超貴重な思考回路を持ってると思いますが、せっかく海外で勝負するチャンスがあるなら、他言語を覚えて、日本語以外で物を捉えるようになれば、考え方の幅も、話す相手も、選手としての可能性も広がっていきます。一石七鳥です。
だからこのコラムを読んでいるサッカー少年の方々。キックの精度や華麗な足技と同じくらい、語学は大切なサッカーの要素です。スピードで敵わないライバルがいるなら、練習のあと30分だけ語学を勉強してください。それはいつか君を、ライバルも羨むような大きな舞台に連れて行ってくれます。ホントです。
そしてこのコラムを読んでいる大人の皆様。語学はもういいので、今日も美味しいお酒を飲んでください。最も大切なのは思考の幅うんたらより、美味い酒です。当たり前です。
どんなに言葉を勉強しても、海外に来たら焼き鳥も焼肉もモツも刺身も食えないし、床屋に行ったらバリカンで刈られて盛大に失敗します。いま僕の前にあるのは紫色のスープと固いパン、謎の形に刈り上げられた頭です。語学になんの意味があるのでしょうか。
シーズンも残り2ヶ月を切りました。最後まで充実して過ごせるように、気を引き締めてやっていくので、応援よろしくお願いします!