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東京ぴーぷる

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シャビ獲得の可能性はあった。ビッグネームを呼びたい。大金新社長に聞く(下)

◆遠巻きに「僕に何ができるか」考えていた

−大金さんの中で、FC東京っていう存在はいつごろから出てきたんですか
「(FC東京は)98年の10月に会社は創立されるんですけど、その前に、水面下でそういう動きがあるということは間接的に聞いていましたし、その後に設立準備委員会という組織ができたことで、これは間違いなくできるんだなと。そのときに(東京ガス幹部の)上原(英治)さん、鳥原(光憲)さんが企業や自治体と調整されていることは聞いていましたし、村林さんがそこに携わるっていうことも聞いていました」

−東京ガスサッカー部のOBとして、FC東京に関わることになるのではないかとか、関わりたいという思いはありましたか
「社業に戻ったのが95、96年で、96年に結婚するんですよ。結婚して社業に専念して、ここからがスタートみたいなときだったんですね。接点もありませんでしたし、正直すごく遠巻きに見ていたって感じですね(笑)」

−結局、2004年にFC東京に関わることになったのは意外でしたか
「その前にも、村林さんから『FC東京に来てくれないか』という話はいただいていました。『社内人事なので私の意見だけでは…』と答えたんですが、『ただ、お前がうんって言わなければ、社内人事も動かない』って言われて。実は、社内的には『僕は(FC東京に)行きたくありません』って、ずっと言っていたんですけれどね(笑)」

−それは、なぜですか
「僕に何ができるのかなって思っていたんです。プレーヤーとしてずっと携わっていましたけれど、別に指導者の資格もあるわけでもなく、徳さん(鈴木徳彦=J2岡山強化部長)や立石(敬之=FC東京GM)みたいなマネージメントをしていたわけでもなく。2004年にビジネススタッフとして行くんですけど、これがFC東京のために、僕が必要とされているのかなと、正直思っていました。サッカーのチームにいながら営業しているわけで、だったら東京ガスにいて営業と変わらないじゃないか、とか。でも、やっぱり近くでサッカーを見られたり、サッカーの業界に当時でも知っている奴がいたので、そういう楽しさ、面白さはありましたけどね」

◆営業としてBtoCのスポンサーを開拓

−FC東京で04年から07年まではどういった仕事を担当されたんですか
「とにかくスポンサー(獲得)の営業ですね。そのころは、どうしても東京ガスやJX関連の企業が多かったんですが、トヨタの販社(販売会社)や、もしもしホットラインなどを開拓したんです。それまでのBtoB(企業向け事業)ではなくて、BtoC(一般消費者向け事業)の会社を初めて、FC東京のスポンサーに入れてきたんですね」

−そこでかなりの実績を収めたんですね
「すごくはないとは思いますけども、それまで頭打ちだったものが少しはプラスになったんじゃないかと思います」
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